夢月・旭川へ無事到着、そして、これからも・Going my way!。

 俺の休み中も本当に沢山のアクセスどうも有難う!。「アレックス君」も、「ゴロウ君」も大喜びだった様だ!。俺は今、また再び、この、「MWブログ」を北海道は旭川の地から配信している!。久し振りに会った俺の両親は、まっ、それなりには元気ではあるが、やはり親父は、また少し痩せて、時々呼吸が苦しい様だ!。また、お袋も、もう昔の様な元気は無く、すっかりと老け込み、薬の副作用のせいか目のまぶたが腫れ上がり下がっていて、俺は見ていて何とも痛々しさを感じる!。しかし俺が昭和57年に18歳で札幌の地へと移り、あれから幾度、この札幌から旭川の道のりを往復した事だろう?。時に車で、そしてバイクで、また汽車で、そして高速バスで、その都度に俺の心の中も、時に嬉しく、また時に悲しく、そして時に泣きながらだ!。俺は時々、人生とはゴ-ルの見えないマラソンの様なものだと思う時がある!。そしてそれは、時に早く、時にゆっくりと、そして時に道端に腰を降ろして休みながらだ!。そして、その行く先のゴ-ルは、この俺にも誰にも決して分らないのだ?。本当に長い様で短い過酷で孤独なレ-ス、あるいは旅だ!。俺は、この道を車で走る時に遭えて高速道路は使わない!。いつも車の時には気分しだいで、あちこちを寄り道しながら、実にゆっくりと旭川へのゴ-ルを目指すのだ!。そりゃ近道をすれば一番早いが、それではせっかくの綺麗な景色や季節の香りに変わった物や面白い物には出会う事が出来ない!。色々な寄り道をし様々な物を見る事に寄って自分の知識と器が広がり大きくなれる、そう人生と全く同じだ!。正に、「矢沢永吉」の、「近道をすれば近道に潰される!。」なのだ!。俺が大好きな、「浜田省吾」のコンサ-ト・ツア-は、いつもROAD(道)がテ-マだ!。それ故に、彼のコンサ-ト・ツア-名は必ず、「ON THE ROAD.2005」などと名付けられるのだ!。そして今では景気が悪くてもう無くなってしまったが、バブル期のコンサ-ト・ツア-には必ず多くのミュゥ-ジシャン達が、楽器や機材を満載した大形トレ-ラ-が幾台も列を作って走り、そのカッコイイ光景に俺は凄く憧れがあった!。そのトレ-ラ-の銀色の側面には必ず、「SHOGO HAMADA」とか、「長渕剛」などと大きく書かれ、正に本物の旅芸人そのものだった!それが未曾有の大不況と共に、「OO運輸」だとか、「OO運送」へと変わって行き、俺の夢もしだいに縮小していったのだ!。果たして今後、いつの日か、「夢月・MUTSUKI.2015」などと書かれたトレ-ラ-が列をなして走る時が来るのだろうか?。まっ、無いだろうね?。せいぜい軽トラの、「赤帽」3台位が良いところだ!。「浜田省吾」の曲、「ON THE ROAD」には、「この道の彼方 約束されたはずの場所があると 信じて 行きたい もう一度 孤独に火をつけて!。」と言う歌詞がある!。また、「夏の終わり」と言う曲の中には、「キャンパスをドロップアウト(中退)して 長い旅に出た 果てしなく続く ON THE ROAD!。」と言う歌詞もだ!。そして大昔の、「菅原都々子」の歌で、「月がとっても青いから 遠回りして帰ろう!。」なんて言うのもあった!。実に平和で古き良き時代の歌だ!。そして、俺は、カラオケで歌うと一番嫌われる歌、「フランク・シナトラ」の、「MY WAY」が大好きで、この曲は本当に名曲だ!。そして、「布施明」の歌う日本語版には、「私には愛する 歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ 今 心に決めたままに!。」と言う歌詞があり、俺は酷く落ち込み、孤独を感じた時には、この歌を、ギタ-一本で、思いっきり歌うのだ!。そして最後に北海道以外に住む日本中の皆様、とにかく北海道の道路(上記写真)は果てしなく広くて長い!。交通事故で死ぬのとスピ-ド違反で捕まるのだけは全て自己責任だが、どうか多くの走り屋さん達、車やバイクで是非一度、北海道に走りに来て下さい!。正し短い夏の間だけですが!。そして俺はまた、いつ終るとも知れない人生のROAD(道)を色々と寄り道や道草をし、さ迷いながら、またゆっくりと歩いて行きます!。常に、Going my wayでね!。じゃあ、また!。By.夢月。 
「作詞・作曲・編曲・歌・・夢月・・もしも道が無いのなら自分で道を切り開くのだ!。」
 (街の囁き・幻のライブ)(下の青いマ-クをクイック・何回聴いても無料です)
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