(夢月)・遂に49回目のバ-スディ!。

 今日は記念すべき俺の49日、じゃなくて、49回忌でもなくて49回目のバ-スディだ!。早、とうとう俺も、もう49歳だ!。それにしても何て縁起の悪いゴロ合わせの数字なんだろう?。だって49は、「死んで苦しむ」だろう?。また、俺の隣に71歳のお年寄りが居たなら、「49に71」で、「よくない」だし、89歳のお年寄りが居たなら、「49に89」で、「四苦八苦」だぜ!。まっ、何の縁起も担ぐ事の無い俺くらいになると何があっても、何を言われようとへっちゃらだけどね!。しかし今こうして49年間の人生を振り返り辿って見ると何て早いものなんだろうと本当に実感するよ?。本当に人生の大先輩達に言われていた通りだったよ?。この先はもっと早いらしい?。これを見ている君達も、「あっ」と言う間に40歳50歳になるから日々大切に過ごせよ!。俺は昭和57年に高校を卒業して就職をする時に、この大人社会の、「コネ」と言う物に大きなショックを受け、世の中ってズルくて汚いなと衝撃を受け落胆した事をハッキリと覚えているよ!。俺の両親は真面目過ぎて世間の狭い親だったから、そう言ったいわゆる、「コネ」なんて物は一切無くて、俺の周りの友達達がその、「コネ」を使い利用し次々と就職をして行く姿を見て、「しかし世の中って汚く不平等だな?。」と人生に絶望感みたいな物を強く感じたよ?。しかしそんな純粋だったこの俺が、今では逆にその、「コネ」をフルに存分に使いこなして世渡りをしているよ!。本当に順応とか慣れって物は恐ろしいものだね!。また俺は子供の頃に読んでいた、「ノストラ・ダムスの大予言」を心底信じていたものだから、1999年7の月、俺は、「36歳で人類滅亡で死ぬんだな?。」って思っていたのに何事も無く時は無情に通り過ぎて、大しためでたくも無いが、今日のこの日を向かえた訳だ!。そしてまたその頃、36歳を倍にすると72歳で、「ああ、俺ももう人生の半分まで来てしまい、これから俺は老いて行くだけの下り坂か?。」なんて凄くセンチメンタルな気分に陥り非常に感深げな思いだったね?。こんな俺でも昔の俺は、今とは全く違って、本当に真から真面目で純粋だったからね!。「浜田省吾」の曲の中の歌詞で、「40回目の誕生日に、自分の頭を撃ち抜く奴は、あまりに一途な理想と望みを描き続けた、そんな男さ!。」って言うのがあり、俺の好きなフレ-ズの一つだ!。そしてどう言う訳か偶然、丁度、42歳のバ-スディに俺は勤めていた不動産会社に辞表を提出する事となり、サラリ-マン生活にピリオドを打った訳だ!。それから何一つ出来ないままに、もう早、7年もの月日が流れてしまった訳だ!。そしてその間、遊び更けてばかりいて、バカな事ばかりやって俺は過ごして来たよ!。皆は笑うかも知れ無いが、俺には常に、「死」に対する美学みたいな物があるのだ?。そして、この、「MWブログ」をやっていて時々、「尾崎豊」の、「太陽の瞳」と言う曲の歌詞と凄く似た様な気分になるんだ?。その曲の歌詞とは、・・・「太陽が沈もうとしている夜が、唸りをあげて暴れている。心が釘打たれるような、痛みを感じている。何も失わぬようにと、だからこんなに疲れている。僕はたった一人だ。僕は誰も知らない。誰も知らない僕がいる。・・・こんな仕事は早く終らせてしまいたい。まるで僕を殺すために働くようだ。それでなければ自由を求める籠の中に閉じ込められている。夢も現実も消えてしまえばいい、僕はたった一人だ。見知らぬ人々が、僕の知らない僕を見ている。・・・一人になって罪を消そうとしても戒律の罪は消せない。人は誰も罪人だから、覚えてきたものに捕まえられている。・・・一人になりたくない、争い合いたくない。僕はたった一人だ。僕は僕と戦うんだ。誰も知らない僕がいる・・・!。」・・・こんなふうにね!。だって、皆は俺の事を写真や文章で知ってはいるけれども、俺には皆の姿は誰も何も見えなくて全く分らないし何も知らないからね?。でも俺は決して死んだりはしないけどね!。そして俺は、今日で49歳!。後、俺が何年生きるのかなんて俺にも誰にも分らないけれども、果たして今後、俺の人生は、いったい何処へ向って何処へ辿り付くのだろうか?。それは神(宇宙と自然)のみぞ知る事だろう?。じゃあ、また!。By.夢月。
「作詞・作曲・編曲・演奏・歌・夢月・49回も四季を見つめて来たなんて不思議だよ?。」
 (命の追求)(下の青いマ-クをクイック・何回聞いても無料です)
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