親子の血の繋がりとは決して切っても切れるものではない!。

 まっ、一般的に喧嘩だとか離婚などの類の揉め事とはどちらも両方になんらかの原因があるもので人間とは皆、自己を有利に主張する生き物であり本当の所は両方の意見を良く聞いてみないとどちらが悪いのかは何とも言えずはっきりとは分からないものなのである?。俺の両親は昭和35年に親父が29歳でお袋が20歳の時にお見合いで結婚をした!。昔は男尊女卑だった為に本当は俺のお袋は中学校を卒業し勉強が好きだったので本当は高校へ進学をしたかったのだが兄弟が多く家庭が貧しい為に父親から、「メロカスの女は高校なんて行かなくて良いから早く嫁に行け!。」という時代でお袋は中学校を卒業した15歳の時から実家の家計を助ける為に本当に小さなお店に就職をした!。そしてお袋が20歳になるとお見合いの話が来て本心は今の親父と結婚などしたくなかったのだが、やはり実家の家計を助ける為に初めてだったたった1回目のお見合いで嫌々結婚をしたのである!。そして見たくれも良くなく優しさも笑いも無くただ訳分からずに威張った親父にただひたすら常に我慢・我慢をして来て俺と兄貴の子供だけがせめてもの唯一の生き甲斐で親父の退職までまるで女中扱いで結婚生活を送って来たのだ!。そして洋裁・和裁を習って来て得意だった為に当時は物も少なく高かった為に俺や兄貴の冬の手袋や靴下から小学校入学の服まで全て生地を買って来てまるで、「母さんの歌」そのものの如く何でも全て手作りをしてくれたものだった!。そして貧しい食事もお袋は俺たち子供達に美味しい所を食べさせて自分は常に我慢をし残った残飯みたいなものを食べていたものだった!。そして親父の退職を期にそれまでの我慢と不満がとうとう爆発をし物静かで優しかったお袋が急変し決定的だったのがお袋が65歳になり国民年金を受け取る様になったなら親父も口煩くなったお袋に対して嫌気がさし、「そんなに俺が嫌だったら母さんも年金を貰う様になったんだから離婚でも別居でもするべ!。」と言ったのが決定的にお袋の心を破壊しそれ以来お袋は少しずつ泣いたり怒ったりと精神状態が不安定になり今の様な病気になってしまったのである!。だからお袋も本当に可愛そうな人生を歩んで来たのだ!。故にお袋の病気の原因には心無い親父の言動や行動が起因している訳なのだ!。家の周りの人はそういった深い事情を全く良く知らないから色々な事を言って来る!。俺は今まで何度も旭川の実家へ帰って来たがいつもお袋の何気ない俺への言葉で言い合いの口論になりいつも俺は怒って札幌へ帰るというパタ-ンなのだ!。勿論俺にも悪いところがある事も十分に理解はしている!。それ故に昔の優しかったお袋と真面目に70歳までひたすら働いた両親のどちらも見捨てるなどという事は俺には絶対に出来ないのである!。そして去年の1月に親父が腎臓癌の末期だと診断され親父が入院をしたので俺は旭川の実家へと帰り雪はねや買い物などの仕事や手伝いをしていたがまたふとした事からお袋が俺に、「札幌へ帰れ!。」等と言うので俺は怒って一度札幌へ帰ったのだ!。そしたらまた旭川に大雪が降りお袋から電話で、「夢月、この前は母さんが悪かったからゴメンね母さん雪はねで困っているからまた来て!。」と言うので俺はまた急いで実家に帰り(上記写真)の様に2〜3時間掛けて近所の人皆に、「お父さんより綺麗に雪はねするね!。」と言われるほど町内で一番綺麗に雪の塊一つ無くなるまで徹底的にやっていたのだ!。それは俺の両親への恩返しの無償の愛であり両親が喜んでくれる事が俺は凄く嬉しい=それが自分の為という事でひたすらやっていたのだ!。そして雪が5cmほど積もった朝に俺が外に出て雪はねを綺麗にして終え家に上がったならお袋が俺を札幌から呼び雪はねを頼むからやってと頼んだくせに何が気に入らなかったのか、「そんな雪が少ないのにやらなくてもいい!。」などと言い出し案の定いつもの口論となり、そんなお袋に対して今では何も物を言えない実に調子の良い親父にもとことん俺は嫌気がさし実家に約半年間居たが俺は、「もう俺は知らないからね!。」と言い残し去年の7月に札幌へ帰り今回まで凄く心配で気にはなるがいよいよ困って両親が頭を下げるまではもう俺は帰らないぞと思い旭川へは行かなかったのである!。ただ俺は今までに色々と沢山様々な家庭の真相を見たり聞いたりして来ているのでいくらどんなに良い家庭を世間に外面良く装っていても必ず何処の家でも同じ様な事をやっている事を知り過ぎているからこんな事も別に対して気にせずにあからさまに書いている訳である!。そして昨日の午後からはお袋は少し機嫌が良くなり、やっぱり何だかんだと言っても子供が来ると凄く嬉しくて自分を心配してくれ気を引く為に子供と同じくわざと俺を困らすのである!。この病気はその日や時間に寄って凄くコロコロと変わるから十分に注意をした言動と行動が必要で今後またどうなるかは全く分からないが、取りあえずは良く寝ている親父とお袋の顔を見て俺は安心し、「可愛いな!。」などと思いながら何だかんだと言いながらも札幌で一人で心配しているよりはやっぱり来て見て良かったなとあくまでも今は思っているよ?。しかしまた今後はどうなる事やら全く分からないよ?。ずうっと上手く行ける事を俺は願うばかりだがやはり親子の血の繋がりとは決して切っても切れるものではないのである。!。じゃあ、また!。By.夢月。
「作詞・作曲・編曲・演奏・歌・・夢月・・親と子供の身体は一心同体なのである!。」
 (雪の砂漠に生まれた恋)(下の青いマ-クをクイック・何回聴いても無料です)
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