人生とはまるで漂うタバコの煙の様な物なのかも知れない?。

 昨日、俺は親父が、「身体が苦しい!。」と言うので実家の近くの病院へ点滴を受ける為に車で連れて行き、その間に今度はお袋の街の病院へ薬を取りに行き、そのまた帰りには親父が食べられそうな物を買う為に2件のス-パ-へ寄り、一度、家に帰り、お袋と買って来た荷物を下ろしてから、また病院まで親父を迎えに行き、とにかく何かと忙しくて、家に付いたのは午後の2時頃だったのである!。俺の親しい知人や友達に親戚達からは、「夢月さんはもう、まるで立派な介護士さんでしょ!。」などと言われているのだ!。痩せ細った親父を車椅子に乗せて押す事は勿論の事、俺は、「父さん、いよいよになったなら俺がおんぶしてやるからな!。」と言い、「もう、ここまで来たなら何も世間体や体裁に他人の目なんか何も気にすることなんてないぞ!。」と常に再三言っているのだ!。・・・皆も知ってはいるよね?。我々人間が持つ「五感」っていうやつを!。これは健康で生きている人だけが体験することが出来る目の視覚・耳の聴覚・鼻が持つ嗅覚に舌が持つ味覚、そして皮膚で感じる触覚の事を言うのだ!。これらのどれか一つでも感じることが出来るのであれば、それこそが正にこの世に生きていることを実感し証明するたった一つの唯一の証なのである!。だから俺は、もう、そう長くはないない事であろう親父にはっきりと、「父さん、今のうちに全ての五感の感触を悔い無く感じ身体と脳にしっかりと深く刻み込んでおきなよ!。」などと常に言っているのだ!。そしてその事は、お袋にも、また俺自身にもだ!。それ故に本当に人間、生きているうちが華であり、生きている事だけで実に幸せで素晴らしい事なのである!。そして俺は、そんな親父とお袋の喜びこそが俺自身の幸せと喜びであり、そのまた逆に俺の幸せこそが親父とお袋の幸せと喜びなのである!。そして正にこれこそが揺ぎ無い本当の、「愛」つまりは、「無償の愛」なのである!。去年、この世を去った昭和5年生まれの宝石屋の社長と、こんなことを話したことがあった!。俺が、「しかし社長、我々人間ってなかなか悟るって出来ないものですよね?。」と言ったなら、80歳を超えた社長が、「夢月君、人間、悟るなんて言ったなら150年くらいは生きないと人生、悟るなんてことは出来ないわ!。俺だって80歳を過ぎてでも未だに悟れないんだから!。」と言ったのだ!。でも俺はその後もしばらくずっと、「悟り」について考え続けていたのである?。そして俺が、ようやく、やっと分かった事とは、もしかしたなら悟るという事は完全に欲を全て捨て去るということなのだから皆、人間は何歳になっても生きている限りは死ぬ最後まで物を食べたり飲んだりする訳であって食欲だけは死ぬまで残る訳だから、本当に人間が悟る為には、あらゆる全ての欲を捨て去る事なので、やっぱり人間が死んでご遺体になるまでは悟る事など出来ずに、人が亡くなって初めて、そのご遺体が仏様になり悟れるのだと言う分析結果の答えが出たのである!。それ故に人間がいくら偉そうな事を言ったとしても、生きている人間の誰一人として神や仏など絶対に存在しないのである!。それ故に宗教家など皆、金を儲ける為の大嘘付きなのである!。つまり俺が今までに何回も書いて来た通りに、「信者」と書いて文字をくっ付けると、「儲け」であり、「人の為」と書いてやはり文字を合わせると、嘘付きの、「偽り」や、「偽善」と成る訳で昔から、「坊主まる儲け」と言われる通りに現代の宗教とは人の不幸を商売にした金儲け以外の何者でもないのである!。それ故に宗教法人の免税など早期に廃止及び撤廃をして企業と全く同じく法人税を掛けて税金を徴収すべきでないかと俺は日々、常々考えているのである?。まっ、何はともあれ、いつの時代も戦争の起きる大きな原因とは、経済か人種か宗教の三つである既成事実からも宗教など碌な物じゃないと言う事が言えるのである!。それは、何故かと言うならば宗教とは平和を壊す起爆剤の一つなのであるのだからだ!。正に美しき聖域とされる宗教自体が実は争いと混乱を招いているのである!。故に本当は、この世に宗教が無ければ実は世界はもっと平和になる訳なのである!。しかしもうこれ以上の事を書くとまた色々と様々な問題が起こるので俺独自の宗教論は今日のところはこの辺でもう止めておこう!。じゃあ、また!。By.夢月。
「作詞・作曲・編曲・演奏・歌・夢月・人生とはまるで漂う煙の様な物かも知れない?。」
 (波のように悲しみが)(下の青いマ-クをクイック・何回聞いても無料です)
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