人は死んで御遺体の仏に至るまで誰一人として悟れない!。

 しかし早いもので今日で11月は終わりを告げ明日からはもう12月、そしてすぐに新しい年が訪れる!。俺はジョギングをしていても例えプ-ルで泳いでいても、はたまた眠りながらも常に頭の中では2つ3つの事を同時に考える?。そして過去の記憶はまるで、映像の様にクッキリ鮮やかに覚えている?。ここ最近は俺がこの世に生を受けてから、今日までの50年間の出来事と歩みを振り返り、亡くなった親父の事や昔、飼っていた可愛いワンちゃんやネコちゃんの事、そして俺自身が様々な動物や昆虫などに成り代わって物事を考えたり、遙か彼方の宇宙から、この青く美しき星、地球を眺めながら物事を考えたり、今のこの現世が、「この世」ならば後は死後の世界、「あの世」の他には一体、あと何次元の世界があるのか?などと考え、俺自身のこの世での残された時間をどう過ごすべきなのかを考えるなど、俺の頭の中はまるで自己破壊的に休む事を知らないのである?。それは映像だったり音だったり色や形のイメ-ジだったりと!。それ故に俺の頭の中では分かっていても皆に言葉や文章では決して言ったり見せたりなどして伝える事が困難な訳である!。もしも我々、人間の身長と体重の身体の大きさが今の半分であったなら地球の大きさや資源の量は全て2倍と成り家や車の大きさも今の半分の大きさで良くなるのだ!。しかし逆に我々の身体の大きさが今の3倍であるならば地球の面積や資源の量は3分の1と成り家や車の大きさは今の3倍のものが必要となる訳なのである?。これらの事を深く追求し続けると、この世には何一つとしてこれが絶対的に正しいという定義などは何一つとして存在しない事が立証出来る訳なのである!。そう、この世も偶然に完全な、「無」の中にたまたま存在する幻の世界なのだ!。そして、「産まれる」・「死ぬ」事の順番さえもが全く無く存在しない事が分かるのだ?。俺はここ数年前から人生の、「悟り」について深く考え続けて来た?。真に悟るということは全ての欲を断ち切る事と考えた時にこの世の生き物は全て死んで御遺体に成るまでは決して悟れないという事の結論に達したのである!。それは悟るということは全ての欲を断ち切る事と考えた時に生き物は死ぬ最後の最後まで食べ物や水を欲しいという欲求、そう食欲が存在するからなのである!。それ故に欲深く罪深い人間が悟るという事は、この世から亡くなって御遺体の仏と成り暗黒の「無」の世界へと消滅をするまで誰も悟る事など出来ないのである!。じゃあ、また!。By.夢月。
(お知らせ)*いつも通り明日の、「MWブログ」はお休みとなります!。従って次回の書き込みは12月2日の月曜日となります!。
「作詞・作曲・編曲・演奏・歌・・夢月・・この世を全て理解した時に奇跡は訪れる!。」
 (孤独な歌うたい)(下の青いマ-クをクイック・何回聞いても無料です)
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