北海道の冬はこんな寒さや大雪は実に当り前の出来事なのだ!。

 しかし昨日の旭川の冷え込みは久し振りに半端じゃなかったよ!。旭川市郊外の江丹別町では氷点下30.5度で旭川中心部でも氷点下21.8度を記録し今年一番の冷え込みとなった!。今でこそこんな冷え込む事は珍しい事だが今から35年ほど前の俺が小中学生の頃の旭川ではこんな事はほぼ毎日の出来事で鼻毛は寒さでくっ付き眉毛からは氷柱が白く垂れ下がり俺が幼少の頃などの家は断熱材などは無い隙間だらけの木造モルタル住宅だったので夜は自分の吐く息で布団が凍っていたものだった!。そして俺の通っていた小学校では寒さで一定の気温を下回ると登校時間が1時間遅れなどになり猛吹雪の下校時には担任の先生と一緒に帰る集団下校という日が日常茶飯事だったものだ!。そして俺が高校生の時までは小中高の全部が古い木造の校舎でダルマスト-ブという石炭スト-ブで、それでも休み時間になるとそのスト-ブの回りで皆、ワイワイガヤガヤと元気に騒いでいたものだった!。俺の小学校では体育の授業の中にはスキ-とスケ-トがあったので今でも俺はスキ-もスケ-トも乗る事が出来るよ!。当時は大抵、何処の家にもお風呂などは無くて皆、銭湯へ通い家は節約をしてお金を貯める為にジュ-スや牛乳さえも一切飲ませてはもらえなかった!。そして銭湯から自宅へ歩いて帰る途中に濡れたタオルを振り回すとすぐに凍り付いてタオルがカチカチの棒になったものだ!。そんな極寒の寒さの中でも俺達の年代は学校へはバスと歩きで通い、今の学校に止めてあるお母さん達の送り迎えの車の行列を見るたびに俺はもう、「今の子供達はもう心身共に完全にダメだな!。」といつも思うよ!。そのうえ更にテレビゲ-ムでもうモヤシみたいな子供ばかりだ!。明治・大正・戦前戦後生まれの人達なんて電気も無くてランプの灯りで勉強し通学は何里(一里は約四キロ)も冷え込んだ豪雪の山道を歩いて通学・通勤をしていたんだからね?。その後、昭和60年代くらいからの目覚しい文明と経済の発展と共に俺の故郷、旭川も水田はほとんどなくなり断熱材などの入った暖かい住宅(ほとんどロ-ン)がびっしりと立ち並び暖房は石炭から灯油や電気が主流となりそれらの住宅から排出される熱などで地球温暖化になり、めったに、マイナス15度を越える日はなくなったのである!。(上記写真)は16日の朝に俺の住む旭川の自宅の窓から撮影をした風景で、大雪で近所の人の車が雪に埋まってしまい4人ほどで車を押したり持ち上げたりしていたが車は全く動けずどんどん深みにはまり、やがて俺も外に出て行き俺の四輪駆動車のRAV4で牽引ロ-プを使い引っ張り上げて何とか無事に救出をする事が出来たのだ!。こんな風景や出来事は北海道では日常茶飯事で、とにかくロ-ドサ-ビスのJAFや屋根の雪下ろし屋さんに水道凍結救助業者などは忙しくて忙しくて人手が足りず電話をしても何時に来てくれるか全く分からないという状況なのだ!。そして北海道では寒さの為に車のバッテリ-が上がる事も多いので俺は車にケ-ブルタ-ミナルに牽引ロ-プやスノヘルパ-にスコップなどを常に積んであるのだ!。今の時代、車の仕組みも良く分からずに多くの女性が簡単に運転免許を取得して車を運転しているがタイヤがパンクをしたりガス欠やちょっと雪に埋まったものなら、もうどうする事も出来ずにただ困った顔をして呆然と立ちすくみ誰か助けてくれないかなぁ〜という表情で我々男性人が救出してくれるのをただ待っている女性がほとんどなのである!。いくら生意気で偉そうな事を言っても所詮、女なんて力仕事は何も出来ないのである!。どうだ、良く分かったか?。さあ俺はまた雪はねと自宅の車庫と物置の屋根に積もった雪下ろしだよ!。本当に良い運動になるぜ!。じゃあ、また!。By.夢月。
「作詞・作曲・編曲・演奏・歌・夢月・自然に逆らった人間の文明は終わりを告げる!。」
 (愛の行方不明)(下の青いマ-クをクイック・何回聞いても無料です)
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